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1)始まり
吉祥寺は、今から約800年前、鎌倉時代・北条執権政治全盛の時代、新宗派が次々生まれて、仏教がとても元気だった時代、聖一国師 圓爾辨圓(しょういつこくし えんにべんねん)というお坊さんが、上州世良田(せらだ)の長楽寺(ちょうらくじ)に勉強に来ていた時に開かれたと伝えられています。辨圓(べんねん)さんというお坊さんは、後に京都に上って臨済宗に所属し、現在は秋のもみじの紅葉で有名な東福寺を開山し、学問的に東福寺派という一派を築いた大学者です。「聖一国師」というのは、「日本一国の先生」という意味で、辨圓さんは我が国初めての国師号を朝廷(花園天皇)から賜った、超すごいお坊さんなのです。
南北朝の戦乱で足利氏に敗れた新田氏ゆかりの河田但馬守 義光公(かわたたじまのかみ よしみつこう 但馬は現在の兵庫県)は、足利氏に従属することを嫌い(両家は親戚)、戦禍を逃れて当地を訪れ、帰農しました。名君義光公が亡くなった後、その子(と伝えられる?)河田対馬守 義賢公(かわたつしまのかみ よしかたこう 対馬は現在の長崎県の一部)が、父親の菩提を弔うために、永禄5年(1562)に堂宇を建立しました。これが吉祥寺の歴史の始まりです。桶狭間で織田信長が今川義元を破り、長尾景虎(後の上杉謙信)が上杉氏を継いだ、そんな戦乱の時代のことです。 |
2)山号・院号・寺号
さて、どこのお寺にも、山号・院号・寺号があります。
吉祥寺の山号は「長勢山(ちょうせいざん)」と言います。末長く勢いの衰えない山(場所)ということで、ポジティブで素敵な山号なのですが、この山号を訓読みすると「ながせやま」になります。これはそのまま「中瀬(なかぜ)」という当地の地名になるんです。この山号をつけた昔の人は、なんてセンスの良いおしゃれな感覚を持った人たちだったのでしょう。
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